今の世の中には様々な食事に関する考え方があります。そして不思議に思うのは、食事に関する考え方はなぜか、他人を巻き込もうとするいわば布教活動的な方向性に行きやすいように見える。という点です。良いもの(本人は良いと思っているんだから)を広めたい。これは人間誰しも思い抱く感情なんだけれども、ある一線を越えるとちょっとな〜って所がありますよね。共鳴欲求は食事に限らず音楽や映画などでも起こります。だけど多くのジャンルにおける共鳴欲求の満たされ方は、まあわりかし各々デリカシーを忘れず、知り合って間もない人などにはジャブ打ちからスタートしてボディーブローを仕込んでおいて、狙い通りに利いてきちゃってたらアッパーをキメるわけです。でも食事に関しては、けっこういきなり右ストレート入れてくる人がわりと一定数いる感じがする。ガードしてても、見えてない。
なぜだ?
わからない。
僕は、まず1つは美容(髪)の勉強と食事や健康の勉強がリンクしちゃうってのが実に面白いなと思ったこと。それとサロンワークちゅうの身体のパフォーマンスが食事で大きく左右されることが楽しすぎること。この2点がきっかけでセルフ人体実験を重ねに重ねて今がありますが、理想の食事を続けるのに、コツとルールを設けています。設けているというより、スマートに社会で生きるためにいつの間にかこうやっていた、というだけですが。いわば後付です。が、わかりやすく説明するためにお客様などには以下の様な話をしています。
まず、【食事】という物を3つに分けて考えます。
- 義務としての食事(贅沢な話ですがわかりやすくこう表現)
- 娯楽としての食事(外食など)
- コミュニケーションツールとしての食事
1に関しては、生命を維持するために食事は必要不可欠なわけですから、誰でも食事は必要なわけです。逆に2と3はイメージしやすかったら、あとは消去法で残るのが1の食事です。
1は、自分の知見や実体験を活かして、仕事や生活のパフォーマンス最優先で己の考える理想の食事を取ればいい。そして多くの人は1の回数が最も多いかと思います。
2はそのまま、楽しむ食事。プロフェッショナルの技を堪能したり、好物をいただいたり。
3は交際等です。
2と3の時は、いちいちパフォーマンスや健康のことなど考えません。如何に良い時間を過ごすかが最優先。結果、そんな場で自分の食事スタイルをプレゼンテーションするなんて行為は余程それがその場に適した内容でもない限りはするべきではないと考えます。
1より2と3が多い人もいるでしょうが、その場合は本当に真剣にいまのそのスタイルは必要なのか避けられないのか、考える必要があると思います。ここを考えることは、健康以前に時間の問題です。限られた人生の時間の適切な配分が、殆どの場合ここが崩れると一緒に崩れていて、依存性もあるので修復するのが困難な場合も。
はなしそれましたが、これだけです。1の時は自分だけの問題(+用意してくれる妻への感謝)なので、色々試したりするわけです。
こうすれば誰にも迷惑かけないしだれも不愉快にさせずに思う存分セルフ人体実験が継続的に出来ます。セルフ人体実験の内容によっては、1週間〜3週間程度ガチガチになる必要がある時がありますが、その時は予定を入れない。もしくは、やんわり言い訳をして上手く乗り切ります。が、そんな大掛かりな実験も最近はあんまりありません。
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