2015-04-30

ダウンロード文化と0歳児の寝顔

今はすっかり
なんでもダウンロード出来る文化に変化してきている。

僕は本当に音楽が大好きで、
幼少期から今まで、音楽に受けた影響は計り知れない。

iTunesStoreがオープンし
CDを買わずに一瞬で新譜が聴けるようになった時、
僕は【意地】でダウンロード音源は買わなかった。
『形として欲しいんす』とか何とか言っちゃって。
でも心の何処かでは、このお気軽お手軽さ(しかも安い)
と確かに戦ってはいたし、
でもジャケットを眺められない残念さを拭い切れないのも事実で
要は、葛藤していたんだな。
ダウンロード文化と。
一長一短で。

その後、今度は書籍までもがダウンロード可能に。
手元のiPadやiPhoneまたはその他端末で、
しかもけっこう快適に読める。
どんなに分厚い本でも重さも一定で。
光がない場所でも読める。(これ意外と大きい)

僕の場合、書籍に関しては音楽ほどの葛藤はなく、
Kindle等の電子書籍は現状かなり利用している。
やはり、便利だ…………
非常に便利。

身体(や頭)を動かす事全般において、
タイミングこそ全てだと考える僕にとって、
『したい時にする』というのは何よりも最優先事項。
この思考により他人や家族に迷惑をかけることもあるが、
ここを無視したら成功するはずのことも成功しないと思うくらいに
とても大切に考えているので、
瞬時に行動に移れるこのダウンロード文化のスピード感は、
やはり非常に恩恵が大きく、
最近では音楽も・・・・

ほとんどCDを買わなくなってしまったのです・・・・・


が、しかし、
第二の転機が訪れつつ在るような予感がしています。


長男が産まれた事で。


長女に続き、二人目の我が子。
男。


この世とはなんなのか。
どう生き抜くべきなのか。
如何に楽しみ抜くのか。
僕なりに精一杯この課題に向き合い、
子供たちにぶつけてゆきたいと考えておりますが、
その過程において、音楽も、活字も、決して外すことはできません。

そこで、凄く引っかかるのです。

【形がない】事に・・・・。



ダウンロード音源と電子書籍には、
レコードラックも不要,
本棚も不要。
全てのお宝は僕の端末の中。
これは、やはり、まずい・・・。

僕の美学的にまずい。
のか・・・?笑


僕の中で親と子で芸術を共有したり共感したりする事は
ものすごく大切なことで、
その種まきはもう始まっている。と思っている。


0歳の時から、普段の生活の中で何気なく時に寄り添う音楽は
意識はなくとも頭の中に蓄積され、
その子なりの感性と融合するでしょう。

そしてそれらの音楽や芸術は、
思春期を迎え、違う目線で世を捉え、
家族以外の沢山の人に触れ、
時にラジオ、時に友達、時に先生。
今の時代であったら、時にYouTubeなのか、FBなのか、
わからんけどこれらが起爆剤になり、覚醒する。


『へ〜、ビートルズってゆうミュージシャンがいたんだ』
と、どこかで聞いた時に覚醒する。


そして実は、何年も何年も前から、
ビートルズは君の生活と寄り添っている。
君が気付かないだけで。


君は在る時ふと、オヤジの大切なレコードを
オヤジのいない時に眺める。


そして発見する。




あ〜〜〜〜!!!!!!!!


これは大事でしょ!!!!やっぱり!!!!!


本も一緒!!!!

在る時ふと、ある作家の名前を耳にして、
本屋に行く前に家の本棚・・・を。


『うっわ・・・・あるし!』

ってゆうこの瞬間!!!!!



僕は、子供の寝顔を見て思った。

形は積極的に残さないといけない!!!
親はいつ死ぬかわからないんだ!!!!



という事です。

ロマンチストと言われるかもしれないけれど、
こうゆう事って大切だと思うんですよね。


芸術は押し付けないで、寄り添わせる。
観葉植物用にそっと添える肥料みたいなもんで、
こう、遠くから放射的にじわじわこころの奥の方に響くことが大切。




そう思うんです。




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