おもしれぇな~こうやって見返すの。
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久々に
2004年07月13日02:00
出会ったんです。『テーマ』。
いや、『課題』。
昔は通勤時間が長かったから
きちんと『考え込むお時間』あったんです。
今は空き時間は 自分で作らないと無い。
しかも電車の中がいちばんはかどる。
『今日CD返しに今からいくわー』と 友人
『はいよ~バッチコイべいべー』と 僕。
ぴんぽ~ん
ガチャ
『あら~顔はれてるね~
つーか
目が晴れて イヤ 腫れてるねーーー』
・・・・・。
ひどいツラ。なんじゃこりゃ。
『帰れボケーーー!!』って言いました。
別れたんですって。
しかも今日。
なにが『CD返す』だよ。ったく。
すごく辛そう・・・・
『聞いてなくてもいいから話させて』って。
さっすが 僕の性格熟知してますよ。聞きますよ。
『もうちょっとしたら聞くね あと3分』っていったんですが
シカトされて1っ方的に トークスタート。ハンマープライス。
聞いてましたよ 真剣に。でも、どーひねくり返しても
別れた相手の『否』しか 僕の脳髄には蓄積されない。
『そんな奴ヤメチマエ』って言葉以外に浮かばない。
でも彼女の話の段落の最終、
起承転結の「結」は、『でも好き』で終わるし。
次の話も『でも好き』で「結」。
バカかお前は って思う。
訳の解らない宇宙人みたいな事ベシャッってやがる。
聞く 聴く 菊。 菊だ!あなたの恋愛に僕は「菊の花」を・・・
とか 他所に思考が反れそうになっちゃったから
『彼のいい所は?いい所があるから好きなんでしょ?』って
聞きました。
『・・・・。 ナイ』と彼女。
いいんですか? いいんです。
全然いいんですよ。 恋愛ですから。
共に過ごしたい という気持ちが大切なんです。
しっかしそれにしても って 思いついちゃって。
それよりも 『好き』って なんでしょうね。
今回の話で彼女が言っていた『好き』と、僕が思う『好き』も
きっと違うんです。人間の精神・脳髄の中に発生する感情。
『好き』もその中の一つにすぎない。だから今まで自分自身が
経験した感情から 『好き』ってゆう気持ちを自分自身で
決め付けている に過ぎないんでしょう。
『好き って この気持ちだったよね!』って。
あくまで「自分」とゆうカテゴリーの中でしか抽出されない。
だからもしかしたら『好き』ってこんなもんじゃないのかも。
本当は『好き』になったら もう感高ぶりすぎて毎日過呼吸に
なっちゃって、
『アンタさえいれば、アタシは酸素が
薄くったって調子いいくらいなの!
だってついつい吸いすぎちゃうくらいですもの!!』
なんて事にもなりかねないのかもしれない。
でも少なくとも 僕はそうはならないのである。
みんなそれぞれ自分のなかで感じた事のある思いを、
自分なりの認識で自覚しているにすぎないんだろうな。
『嬉しい』にしたって、俺が嬉しいときの数値が
100ポッポローだとしたら、世間一般の『嬉しい』の
平均値は23ポッポロー程度のものに過ぎない
っていわれても 否定はできないのである。
『感情とは 自己の中の相対的認識にすぎない』
そして、
僕の歓喜は過剰なのかもしれない。
幸せ感じるときには、
『今なら死んだってかまわない』と
本気で思ってしまうのである。
そしてその時その瞬間、
アルコールの摂取率200%であることも事実。
でも泣き上戸だったりとか、そんなんじゃない。
酒と仲間と音楽 が 『死』をイメージさせる。
歓喜とは、全く逆ベクトルだからだろうか・・・
新しいタイプの安楽死である。
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